人間の意思はどこにあるのか
人間はプログラムの一種だと考えている。
遺伝子にもともと本能や性格などのプログラムがなされており、その通りに反応するようになっている。
他の動物、例えばハエの実験などが有名だ。
遺伝子を発見する元になった実験だが、
ハエの中でも光に対する反応が異なる。
光が好きなハエ、逆に暗闇が好きなハエ、
じっとしている、動いているなど反応も様々だ。
他の動物にも反応がプログラムされている中で、なんで人間だけがプログラムされた動物たちとは一線を画し、支配する立場にいるのだろうか。
共通として、どの動物も社会的な動物の一種だ。
だが、人間だけには自分自信を客観視するというスキルが備わっている。
客観視できるということは、
簡単なようで他の動物にはできない。
今していること瞬間を意識するということである。
どの動物も司令塔となる脳を持っている。
神経の集まりであるこの脳は、
自分への刺激の反応としていろいろと指令を出す。ホルモンを出したり、筋肉を動かしたりと。
人間は自分が判断しているようで、
実はこうったプログラムで動いている。
そうであるならば、
人間の意思とはなんなのか?
何が自分自信の判断であり、
何はプログラム的な判断なのだろうか。
また、他の動物にはない行為として、
自殺がある。
これを行うのは人間だけだ。
本能的には生存を目指す。
なぜ人間は、自ら死を選ぶような選択ができるのか。
これはプログラムされていない意思であるとみることが出来る。本能的に死をめざしていふのであれば、人間の存在自体が矛盾したものとなってしまう。
何が、意識で、何がプログラムなのか。
デジタル化、自動化が進む中で、
脳の判断は少なくなり、代わりにプログラムを読み取った人工知能が判断を進めるようになる。
そうなっては危険だ。
もっと自分の判断を意識していく必要がある。