パラドクスの命題
パラドクスの命題が生まれるのはなぜなのだろうか。
パラドクスはいわゆる矛盾が生じている状態だ。同時に成り立つことができない2つ以上の事象が成り立つと主張されている場合はパラドクスとされる。
例えば、日常的には、「この壁に張り紙をしてはいけない」という張り紙をしているのは、正しいと言えるだろうか。
こういったパラドクスは、
解釈の違いによって生じる現象である。
2つの同時に成り立つことができない命題というのは、存在しない。
つまりパラドクスは存在せず、
物事の一面しか見ていないだけである。
2次元と3次元では得られる情報が多くなる。
円だと思っていたが、円柱であったりする。
パラドクスとは、こうした解釈の違いから生まれるものだ。
例えば、生と死は両立することができるのか?
生きている状態であり、かつ死んでいる状態は同時に成り立つことができるのだろうか?
私の答えはYESである。
人は細胞から成り立つ存在である。
神経細胞が集まって人間が生きるための機能を果たし、意識を持たせる。
だが、この細胞は毎日何十億と死んでいながら、同時に生まれている。
つまり、今の自分は昨日の自分とも明日の自分とも違う。日々死んでいながら、生まれ変わって生きているのである。
だから、私の答えをイエスとした。
パラドクスは存在せず、あるのはただの解釈の違いだけである。サルトル風に。